このページをご覧いただきありがとうございます。このブログ(白山堂のおかわり話)を書いている坪田 直樹(ツボタナオキ)と申します。

僕は石川県白山市の山の麓で川魚の養殖場を運営しています。養魚場は祖父の代から始まって今年で創業約74年。現在は2代目の父と母、3代目の僕、母、そして猫一匹と一緒に仕事をしています。

このブログでは、川魚が好きになる豆知識などの他、僕が養魚場の仕事をして日々を過ごす中で感じたこと、挑戦していることなどを発信していきます。

僕がこの養魚場の仕事を本格的に始めたのは2年前です。それまで中学を卒業してから約18年の間は金沢や関東、海外といった場所で全く別の仕事、生活をしていました。

そんな僕がなぜ家業の養魚場の仕事を継ぐことになったのか、このページでは僕の半生を振り返りながら、そこに至るまでの経緯や自己紹介ができればと思っています。

あらすじは「田舎はイヤだ!」と中学卒業と同時に地元を飛び出し、高校ー大学ー海外ー東京と長い「宝探し」をしてみたものの、軸がブレブレで苦しみもがいている中で「本当の幸せ」や「生きていく糧」に出会い、地元に戻って家業を継ぐことになったストーリーです。

最後までお読みいただけたらうれしいです。

秘境に生まれ育った15年

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1988年6月23日、石川県白山市で生まれました。霊峰白山の麓にある四方八方が山々に囲まれた場所で70年以上続く老舗の川魚養魚場の長男として生まれました。

当時はバブル絶頂期、幼少の頃は忙しく働く両親に代わって祖父や祖母に面倒をみてもらっていました。生粋のおじいちゃん、おばあちゃん子です。

幼い頃はよく寝る子だったみたいで、寝てばかりいたせいか本当に小さい頃の記憶はほとんどありません。

あまり手がかからなかったと聞いていますが、気づいたら大きくなっていて中学を卒業する頃には頃には身長180cmを超えていました(現在185cm)。

そんなわけでよく聞かれる質問ランキングの1位は「何を食べたらそんなに大きくなるの??」ですが、今では確信しているはっきりとした答えがあります。「イワナ」です。恐縮です。※科学的根拠は一切ございません

しかし小学生・中学生と自我が芽生えるにつれて、毎日忙しくしている両親、刺激のない山々に囲まれ友達と気軽に遊べない環境(一番近い友達の家まで車で10分)など状況を理解していくに連れ

「お、おら、こんなとこいやだー!!絶対にここから出ていってやるぞ!!」という気持ちが強く芽生えていきました。

当時、将来の夢は「土日休みのサラリーマン一択!」のなかなか現実を見据えた気骨のある子どもだったと思います。

人生の「宝」探しの旅へ

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外に出たいという強い気持ちは僕を遠くへ遠くへ連れて行ってくれました。

高校からは金沢へ出て一人暮らしをはじめ、大学は栃木県の大学へ進学します。(農学部でトマトの研究していました◎)

その後は海外(カナダ)に留学し、現地で留学会社に就職、帰国後は都内の広告代理店に3年ほど勤めました。四方八方、山に囲まれて育った人間にとっては、どんな場所でも見るものすべてが新鮮でキラキラに映りました。

その後は独立、はじめは常駐フリーランスとしてweb制作会社で働いて…という風に歩んできました。しかし外にあるはずだと思っていた宝はなかなか見つかりません…。

※宝≒ 自分が心の底からやりたいと思える何か

しかし実際には人や世間の評価や言葉に流された大学進学に始まり、居場所がないと苦しくて海外への現実逃避、ひとりじゃなんにもできない自分が嫌でデザイナーを目指したけど諦めた代理店時代、プログラマーを目指したけど諦めたフリーランス時代と、10代後半から20代を過ごす中で軸はブレブレ、自尊心もズタズタになっていました。

そして2017年の初夏、異変が起こります。

何もやる気が湧いてこない…人生が停止した日々

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それはまるで電源コンセントからプラグが抜けたように突然あらゆる行動ができなくなっていました。気力が湧いてこないのです。長い低空飛行の始まりでした。

ちょうど常駐の仕事をやめたタイミングで自分の価値ってなんだ、、、どうしてひとつのことを突き詰めていけないんだ、、、生きる意味は、、、?とだんだん悪い方に悪い方に考えや気持ちが移ってゆき、突如行動することができなくなってしまったのです。

毎日何をするわけでなく、独りカーテンを閉め切った暗い部屋でベッドの上に横たわってただただ時間だけが過ぎていきました。これまでの人生を振り返っては何も成し遂げていないことにたたただ絶望し、打ちひしがれていました。診断されたわけではないですが、いわゆる鬱というものに直面していたのだと思います。

何もかも手が付きませんでしたがお腹は空くものです。幸い近くにコンビニがあったのでご飯はコンビニ飯で済ませていました。そんな日々は深く暗い海の底で漂っているような感覚でした。

地元で久々に食べた父と母の手料理に救われた

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そんな状態で2ヶ月ほどが経ち、お盆休みになりました。特にやることもないので久々に実家に帰ることにしました。両親には一応状況を話しました。ああでもないこうでもないと言われるかと思いましたが、2人共ありがたいことに責めたり過剰な励ましをしたりすることもなく普段どおりに接してくれました。

久々に帰った実家の食卓、そこには父や母の新鮮な料理が並んでいました。

「・・・・・?!」

一口、また一口と食べるたびに自分の中に異変を感じました。

繊細な味や食感に、まるですべての神経や細胞が一気に覚醒したかのような感覚でした。

「うまいか?」

その優しい味に感動し、気づいたら涙が溢れていました。僕の中の凝り固まった何かが溶けていくようでした。

実家には2週間ほど滞在しました。山奥の豊かな自然の中で、父や母の料理を食べなら静かに過ごす日々は、ゆっくりゆっくりと心を癒やしてくれました。

自分にとっての幸せ、生き方に向き合う

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そうして少しずつ元気を取り戻した僕は、神奈川へ戻ってまた生活を始めます。以前勤めていた会社の人と協力して仕事を得たり、自分でも仕事を積極的に作りにいきました。

その結果たくさんのお仕事を頂けるようになり、半年後には経済的にも精神的にもかなり安定してきて、僕はようやく長い長いトンネルを抜けることができました。

生活にも心にも余裕が出てきて、僕はこれからの人生を真剣に考えるようになりました。

自分にとっての本当の幸せとは何か?

理想の生き方は?

どこで何をして、何を成し遂げたいのか。

どんな人の役に立ちたいのか?

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そんな自問自答を繰り返している内に、実家から荷物が届きました。中には実家で食べた岩魚の昆布〆が入っていました。

これまでも何度か事あるごとに送ってくれていたのですが、この昆布〆を食べて「これ、東京でいつでも買って食べれたらいいのになぁ…」とボソッと独り言を漏らすとともに次の瞬間「・・・・これだ!!!」と僕は飛び跳ねました。

「地元に戻って家族と一緒に、この昆布〆を食べた時のような心もお腹も満たす食体験を提供する!」という夢が見つかったのです。

心の中で何かが花火のようにバチバチとはじけるような感覚でその日はワクワク・ドキドキが止まりませんでした。

僕はこの夢が見つかる30歳になるまで軸はブレブレ、諦めの多い人生を過ごし、自分の経験してきたことの意味を見出すことができていませんでした。

でもこの夢が見つかったとき、今まで無意味に思えたひとつひとつの経験も、諦める選択をしたこともすべて意味があったと確信しました。

あれも、それも、これも、全部意味があったんだ…

人生の点と点が線になり、自分の歩んできた人生に納得した瞬間でした。

両親を説得するも…

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僕は地元に戻り家業の養殖場を自分の強い希望と意志を持って継ぐことを心に決め行動を開始します。

2018年の夏、再び実家に帰省してまずは父と母に通販の話を持ちかけます。しかし「そんなのは無理だ」と最初は相手にしてもらえませんでした。

というのも当時父や母は養魚場の仕事を徐々に縮小しつつあり、数年の内に廃業しようと考えていたのです。地域の観光客の減少で近隣宿泊施設からの注文が年々に減っていることも要因のひとつでしたが、一番の大きな要因は体力的な衰えでした。

養魚場の仕事は想像以上に体力を使います。特にこの北陸は雪も多く厳しい環境で運営を維持していくのは決して生易しいことではないのです。

しかし何十年もの間、養殖や加工・飲食の仕事をしていた彼らの心の中には葛藤わだかまりがありました。それは「渓流魚の良さを知ってもらえない、なかなか広まらない…」ということへの悲しみとそれに対して何もできなかった怒りでした。彼ら自身が渓流魚や自分たちの仕事に価値を見いだせなくなりつつあったのでした。

それから毎日僕は説得を試みました。金沢に出て、東京に出て、海外に出て、外に出て露頭に迷った自分だからこそ感じた彼らの魚や料理、食文化の価値を伝えました。

同時にたくさんたくさん質問をしました。生まれて初めてひとりの職業人としてディレクターとして父や母に向き合ってみたのです。

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すると父は徐々に口を開き始め、気づくと「実はな、こんなのもあるんや!」と嬉しそうに話し始めたのです。いつもは早い時間に寝てしまう父ですが、そのときは真夜中までお酒を飲みながら楽しそうに語ってくれました。

その時なんでもっとこうやって話を聞いてあげられなかったんだろうって後悔しながらも、本当に価値を感じていて、やりたいことを伝えました。
徐々に本気ということが伝わったのか、「そんなら、やってみっか!」と父も母も新しい形でのスタートすることを約束してくれました。

すぐに神奈川に戻り、その年の10月地元へ戻りました。中学生卒業から始まった18年の宝探しの旅はここで終えることになります。

法人化して通販サイトをオープン、苦労の末たくさんの嬉しい声が届く

渓流食堂

翌年の2019年6月、法人(株式会社白山堂)を設立し、同時に川魚料理の通販サイト「渓流食堂」を立ち上げました。

祖父の代から70年以上続いてきた川魚の養殖業と、並行して30年以上続けてきた飲食店・土産屋の調理・加工技術をかけ合わせ、ご自宅で気軽に楽しめる様々な渓流料理製品を展開しています。

立ち上げ直後は大変なこともありましたが、最初に購入頂いた時の感動は今でも忘れません。お客様の「おいしかったよ!」の声にどれだけホッとして、心が救われたかは言い表すことができないくらいのものでした。

その後も商品開発やたくさん購入頂けるようにお店を整えるのには苦戦しましたが、家族と力を合わせて日々改善を重ねてゆきました。

1年以上が経ち今では毎日ご注文をいただけるようになり、お客様からは

「料理が美味しく、ほっこりした」

「コロナでストレス溜まってたけど食べたらなんかとても元気になった!」

「懐かしい気持ちになりました」

「こんなに新鮮で繊細な味は久しぶりに食べました。五感を取り戻したような気がしました」

など様々な喜びの声が届くようになりました。

父も母も今まで直接感想をみたり聞いたりすることができるようになり、イキイキとした顔で仕事をしています。

「最初は正直迷ったけど、やってよかったわ」という言葉もでてきて、息子としてはひとつ両親への恩返しができたのかなと思っています。

地元に戻って2年、ブログ改めて始めます

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タバタと忙しない日々は今も続いていますが、地元に戻って2年が経ち自分自身も地方での暮らしに慣れてきました。家族や自然に囲まれたこの環境で心豊かに生活することができています。

養魚場の仕事は自然や命相手の仕事。時には自分都合ではいられないような大変なこともあるけれど、やりがいがあって楽しく、毎日が充実しています。

このブログではその楽しさが少しでも伝わったらいいなと思って日々の仕事で感じたことや、仕事の裏側、今挑戦していることなどをお伝えできたらと思っています。

・五感を大切に、心豊かに生きたい方

・食や地方の暮らしに興味のある方

・今の仕事にどこか違和感を感じて持っている方

そんな方のヒントになれば幸いです。

あなたの心豊かな生活を祈って

2020.09.29