イワナ、川魚料理専門の産直養魚場「白山堂」公式サイト

はじめまして、淡水養魚場「白山堂」3代目の坪田 直樹です。

当養魚場は、私の祖父から始まって約70年の歴史がある石川県でも古くからある川魚養魚場です。

イワナ・ニジマスなどの淡水魚を年間、約4t程度生産しています。

4トンと聞くと、大きな数字に思われるかもしれませんが、仮に1尾100gとすると、約4万尾です。(実際には大きい魚も小さな魚もおります。)

東京ドームの席数は約5万人前後。お一人お一人に魚を配り歩くと無くなってしまう、そんな数です。

この数字からおわかりの通り、白山堂は全国的にみれば決して大きな養魚場ではありません。スタッフも、私を含めて父と母の3人という小さな会社です。

ですが、どこにも負けない、良質な川魚、そして食文化発信をし続けてきたという自信があります。

小さな養魚場である白山堂が、70年もの間、川魚を作ってこれたのは、白山堂で川魚をご注文いただいたお客様が、当養魚場の魚を気に入ってくださり、白山堂のことを多くの方にご紹介してくださったからでした。

本当に感謝しています。

代々、家族で渓流魚に愛情と情熱を注いできました。白山堂のこれまでとこれから

ここからは、白山堂と当場の在る白山深瀬という場所のこれまでについて少しお話させてください。

この地域がどんな場所だったのかということから順番にお伝えしてゆくことで当場のことや白山堂のこれからを一層ご理解いただけると思います。

檜(ひのき)細工の里、深瀬

深瀬ひのき笠

白山堂がはじまるもっともっと前、江戸時代の初期頃のお話です。当場のある深瀬(ふかぜ)という場所は今と同じくそれはそれは豊かな自然に囲まれた山の間の谷でした。

特に冬は厳しい雪に覆われ、山深いこの地域で農業など食料の安定生産は難しいものでした。

そんな深瀬という場所に、旅の僧侶が「檜細工」の技術をもたらしたと言われています。

軽くて丈夫な笠や入れ物は重宝され、年貢もこの檜細工で収めていたと言います。雪深い山間地域が生計を立てる産業として発展してゆきました。

ヒノキ細工はいわゆる家内制手工業で、ヒノキの材料を採取しに行く人、材料に加工する人、商品を作る人、売り歩く人、家族みんなが役割をもって檜細工の仕事をしながら生活していました。

囲炉裏端

そんな仕事の傍ら、当時の人々はどんなものを食べていたのでしょうか?

里山には山菜、きのこ、ジビエ、川魚と山の恵がたくさんありました。でも当時はまだ今と違って冷蔵庫も冷凍庫もない時代です。

折角とった食材も放っておけば悪くなってしまいます。

そこで当時の人はとった山菜や魚などを長くおいしく食べるために、干したり、味噌につけたり、酢につけたりと様々な工夫を凝らしいろんな食べ方が生まれました。いわゆる保存食です。

いわな味噌焼きおにぎり
※いわな味噌でつくった焼きおにぎり。笹の葉に載せて再現してみました。

例えば山仕事にいく際、生の魚をそのまま持っていくわけには行きませんが、味噌につけておいた岩魚を焼きほぐし、それをおにぎりに混ぜれば、焼き味噌おにぎりですね^^

白山連邦

力仕事をしたあとのお昼休憩。山際から美しい景色を眺めながら頰張ったその味はきっと格別だったにちがいありません。

この白山深瀬という土地にはそんなユニークな背景(食文化・人々の生活)が広がっていたこと、なんとなくでもイメージいただけましたでしょうか?

白山堂が展開している様々な料理(加工品)は食文化・歴史をベースにしております。

はじまりは本屋さん、『白山堂』の創業期

旧白山堂

時代は明治、大正、昭和と進み、戦後の昭和21年。白山堂のはじまりは、私の祖父である坪田一(かず)が先の戦争から戻ってきたこの年でした。

その頃はこの山奥にはモノも情報も圧倒的に不足していました。

戦争から戻ってきたからと言って休んでいる間もなく、祖父は街から本(情報)や雑貨・食品・日用品などを仕入れ、本屋・雑家商を始めます。

そう、白山堂のはじまりは養殖場ではなく、本屋さんだったのです。

白山堂という名前を聞いて、本屋さん?と最初思ったかもしれません(笑)

この流れがあるので今でもロゴマークには本が入っているのですが気づきましたか?

当時は里山に情報と文化を運んでくれたと喜ばれていたそうです。

旧養魚場

その一方でこの里山には安定的な食糧生産の基盤がありませんでした。

釣り名人だった祖父ははじめは釣った魚を売っていましたが、地域の観光などが発展してゆくにつれ需要が高まり足らず、安定的に供給ができるようにと岩魚の養殖に挑戦することにします。

しかし養殖は簡単な話ではありません。天然の岩魚は人工餌はなかなか食べてくれないのです。

祖父は試行錯誤の末、昭和38年頃にようやく岩魚の完全養殖に成功します。当時はまだ県の水産試験場などもなかったので、たくさんの人が見学に訪れていたそうです。

激動の時代を生きた祖父。物も情報も不足していた里山にそれらを運び、そして食糧生産の種を蒔いたのでした。

養殖と調理、両方の技術を磨き、白山堂の生産・加工技術を発展させた2代目

その後昭和50年頃、ダム建設(手取川ダム)とともに現在の弊社のある湖畔に引っ越しをしました移転します。

その後、祖父は移転先で養魚場に併設する形で飲食業にも取り掛かります。

当時、東京で働いていた2代目の父に声をかけ呼び戻しました。

板前さんを呼び、和食料理の研鑽の日々が始まります。

その後独り立ちし、山の食文化をベースに渓流料理を次々と創ってゆきました。

そうして立ち上がった手取湖の眺めが楽しめる湖畔の渓流料理レストラン「梁山泊」。

県外からもたくさんのお客さんで賑わい、県外にもたくさんのファンがいるほどの盛況ぶりでした。

私も当時は小学生でしたがお店を手伝ってました。都会からいらっしゃるお客様にとって父や母のつくる川魚料理はきっと驚きに満ちていたと思います。

”ごちそうさまでした!”と笑顔でおっしゃってくださるお客様の背中を”ありがとうございました!”と送り出す時は誇らしかったです。

しかし祖父が老衰し、養魚場の運営を本格的に祖父から父へバトンタッチすることになったため、惜しまれつつもレストラン「梁山泊」は閉店します。

その後、近隣からオファーがあり一時飲食店を運営することもありましたが、地域の観光客が減少するなかでこちらも閉店しています。

白山堂の飲食事業はトータルで約30年弱になりますが白山堂が魚そのものだけでなく、様々な加工品(渓流料理)を展開できるのは、養殖業のみならずこうして飲食店事業を行っていたからなのです。

その後、父はしばらく養殖業に専念することになりますが、「美味しい魚料理にはまずおいしい魚を作ることが大事」と研究熱心な父は養殖に関して情報を集め、技術を磨いてきました。

渓流魚の美味しさを日本中に届けたい!白山堂のこれから

祖父が生産のタネを蒔き、川魚養殖とこの食文化を発展・成長させてきた父。

この後に続く私(3代目)の使命はなんでしょうか?

3代目である私の使命は、祖父がタネをまき、意思を継いだ父が磨き上げたこの魚とその食文化を全国そして世界へ発信し、届けることだと思いました。

実は私が地元に戻る前、父や母も本当は「もっと渓流料理のおいしさを知ってほしい」とやり場のない思いを抱えながらも「このまま養魚場だけを続けてそーっと店終いにしよう。」と決めていました。

私は幼い頃から父や母のつくる料理を間近でみて、毎日のように食べてきました。飲食店も養魚場も体力のいる厳しい仕事なのは知っています。だけどたくさんのお客様が彼らの料理を食べて笑顔になってお帰りになっていったこの料理がこのままなくなってしまうのは、虚しさを感じていました。

渓流魚の素晴らしさを知っていただきたい。本当においしいと思う渓流料理を、もっと手軽な形でお届けしたい。ひいてはここ北陸加賀白山から全国の皆さんに、渓流魚の味の深さ、食文化の魅力を知っていただきたい!

このような想いから、使命を実現するべく、私は2018年に地元に戻り、父や母を説得。これまでやってきた飲食店という形からステップアップし、全国通販(産地直送養魚場)という形で渓流魚・渓流料理の提供を始めることにしました。

祖父の代から70年以上続いてきた川魚の養殖業と、並行して30年以上続けてきた飲食店・土産屋の調理・加工技術をかけ合わせ、ご自宅で気軽に楽しめる様々な渓流料理製品を展開しています。

ぜひあなたの食卓でさまざまな渓流魚やその食文化を楽しんでいただけたら嬉しいです。

もちろん最初からうまくいったのではありません。立ち上げ直後は古くなった施設・設備の補修、許可の取得、食品検査に製品開発等、大変なこともありました。

最初に購入頂いた時の感動は今でも忘れません。お客様の「おいしかったよ!」の声にどれだけホッとして、心が救われたかは言い表すことができないくらいのものでした。

その後も商品開発やたくさん購入頂けるようにお店を整えるのには苦戦しましたが、父や母と力を合わせて日々改善を重ねてゆきました。

昨年より新型コロナウイルスの蔓延もあり、苦労する場面も多々ありました。

でも今では毎日ご注文をいただけるようになり、お客様からは

「イワナが美味しく、ほっこりした」
「コロナでストレス溜まってたけど食べたらなんかとても元気になった!」
「懐かしい気持ちになりました」
「こんなに新鮮で繊細な味は久しぶりに食べました。五感を取り戻したような気がしました」

など様々な喜びの声・お手紙が届くようになりました。

父も母も今まで直接ご感想をみたり聞いたりすることができるようになり、イキイキとした顔で仕事をしています。

「最初は正直迷ったけど、やってよかった!」という言葉もでてきて、息子としてはひとつ両親への恩返しができたのかなと思っています。

時代が変わり、今は沢山の食の選択肢があります。その中で魚食離れが起きているというのは日々ニュースで聞くところです。

また核家族化が進み、今の日本は食文化の継承がますますしづらい状況にあると感じます。

核家族化が進む今の日本で、どこにどんな形で住んでいても、川魚食文化が自然な形で次世代へ繋がっていくように。

そんな想いをいだきながら日々活動しています。もし、白山堂の商品に興味を持たれましたら、お気軽にご相談ください。

白山堂は、渓流食文化に興味のあるすべての方にとって身近な養魚場でありたいと思っています。

お問い合わせいただく際は、メールでもお電話でも大丈夫です。どうぞよろしくお願いいたします。